

スコッチーテープで日本でもお馴染みの3Mという会社は、常に売上の30パーセントを過去4年以内に開発した新製品で占めることを内規としている。
そのためには過去の成功には安住しない。
日本にも何回か生まれ変わる人生を送った事業家の手本がある。
それは故M幸之助氏である。
彼は最初はまず事業家となり、次にPHPという出版事業に傾注した。
やがてM政経塾という学校を開き、教育家となった。
そのすべての事業において彼は立派な業績を残した。
Mの事業自体、電球と二股ソケットから始まり、やがてオーディオ機器などへと主力商品は絶えず変化した。
現在また医療などを含めて大きく変化しようとしているように見受けられる。
「明るいナショナル」というコマーシヤルーソングに象徴される、明るい家庭の構築に奉仕するMという根幹的な使命からは一歩も外れずに、しかし主力商品群は常に変化し今日のMを築いている。
Mという会社を見るとき、その変化する力とM翁の何回か生まれ変わった人生とが重なって見えてくる。
「生まれ変わる」ということは、決して日本人に共感されえない価値観だとは思わない。
つねに次の人生にトライするブラジルでの経験私自身の自己紹介をする機会、または履歴書を出す機会が時々ある。
学歴とか職歴とかを順に並べた通常の履歴書を出す場合がほとんどであるが、時には違ったやり方で自己紹介をすることにしている。
その一行目は9歳の時の体験から始まる。
私は9歳の時に、それ以前の3年間を過ごしたタイのハンコックから帰って来て、千代田区の小学校に転校した。
ハンコックの小学校は日本大使館の付属の小学校で、1学年が8人程度、何をするにも全員一緒だったし、親兄弟含めてみな知り合いの仲だった。
そんな環境か1クラス50人もいる大きな学校に転校し、私の得た逆カルチャー・ショックは極めて大きかった。
転校生は何をするにも「味噌っかす」「タイの山猿」と馬鹿にされる。
私の故国でありながら、私は不幸のどん底に落とされた。
しかもその頃は冬になると小児喘息にも悩まされた。
私には5歳上の兄がいるが、兄は早くも受験勉強で大忙し。
ちっとも一緒に遊んでくれなかった。
日本とはタイよりも先進国ながら、何と不幸な国なのだろうかというのが私の実感であった。
中学に進み、みなまた第一歩からやり直す状況になって初めて私はこの「不幸な環境」から解放された。
その次の転機は前にも述べた20歳の時のアメリカとの出合いであった。
この広い大陸に強い憧れを持つようになった。
その次の重要な体験はブラジルでの1年間である。
私はミナスージェライス州、ぺ口・オリゾンチという同国第3番目の都市に住んだ。
日本ではほとんど名前を知られていないこの街はブラジル開発の前線基地でもあり、新日鉄が協力しているウジミナスという製鉄所、セラード開発という広大な酸性の土地の改良計画、イタリアから来たフィアットの自動車工場などがあった。
私は国立のミナスージェライス連邦大学でいくつかの経済関係の授業を聴講するとともに、これらの工場や農業開発の現場を見学させてもらったり、ポルトガル語を勉強したり、ブラジルS銀行の支店開設の基礎調査をした。
それらの「公式」な活動から得たものも重要であったが、最も強烈な影響はある中華料理店で受けたものである。
おいしい日本食の店は少なく、故郷の味が恋しくなるとよく行く中華料理店があった。
ある日いつも笑顔で迎えてくれるドナ(ポルトガル語で女主人という意味)にさりげなく聞いた。
「いつブラジルに来たのですか」。
なんとその答えは「9ヵ月前」で、店を開いたのは6ヵ月前とのことだった。
私には信じられなかった。
なんでそんな短い期間に、こんなに上手にポルトガル語を話し、ちゃんと店を構え、明るい笑顔でお客を迎えることができるのか。
彼女こそ私の手本とすべきものだと確信した。
ユダヤ人と中国人は世界中に散っている。
どこの国に行っても彼らはだいたい事業に成功していて、みじめな姿は見せない。
「よし、僕もこのドナやキッチンで働いているご主人に負けないよう、どんな国に行っても6ヵ月したら言葉を覚え、ちゃんと仕事にありつけるような人間になろう」と決心した。
もう一度生まれ変わるブラジルから帰る頃には、自信のようなものができていた。
出発前には25歳にもなった人間が、新しい土地に行ったからとて、さほど大きな文化的影響を受けるとは思っていなかったが、実際には強烈な影響を受けて日本に帰ってきた。
「どこに行っても6ヵ月したら言葉をマスターし、ちゃんと仕事を得る」これを自覚したからこそ、その後海を越えてウォール街に行く決心がついたのだと思う。
30歳を前にした米国企業への転職、40の手前で自分の会社設立、47でパートタイムながら教育に携わるようになり、フランスの国立大学の国際経営大学院東京校で客員教授としてコーポレートーリストラクチャリングの講義をしている。
私の人生自体が「生まれ変わること」の連続であったように思う。
私は変わることを恐れないどころか、変わらないことを恐れるようになった。
事業も同じである。
経営哲学自体は一貫しているが、仕事の内容に合わせて会社を作って行くと、いつの間にか4つの会社ができ上がっていた。
最初の一つはたいへんだったが、あとの3つは次々と生まれてきた。
そして私の人生が、現在の投資銀行家として終わるとは考えていない。
もし健康でさえあるならば、いつかまた次の人生に踏み出す時が来るであろう。
将来の構想を話すには未だ早く、まずはRMの事業をもっともっと発展させ、強固な基盤を作らなければならないが、最終的にやりたい事業の姿はおぼろげながら見え始めている。
それはもっと教育に参加することと、「非営利目的投資銀行」を設立することである。
公共の福祉となることを確かに国は手がけている。
しかしその目的は「より多くの人」に福祉が及ぶことで、ほんの一部の人にしか恩恵が及ばないものは後回しにされる。
民間企業が事業の対象とするものも、原則大きな市場があるものである。
大金持ちはたくさんのお金を慈善行為に寄付するが、実際の時間と精力を現場で使うかというとそうでもない。
お金だけ出して名声を得、満足し、自分は楽隠居を決め込む人が多いように見うけられる。
私が目指すものは、国も企業も対象にしないが、世の中を公平にするために重要な事業であり、そして私や将来集める仲間が自分の経験を生かし日々の活動に直接参加するような事業である。
たとえば世界に数百人しかいない奇病を治す薬の開発などである。
こうした人々を救うには、他の病気の治療薬開発と同じくらい資金が要るし、科学者の参加も必要である。
国の予算は癌とか心臓病であるとか、患者数が多いものに重点配分される。
民間薬品会社も当然ながらたくさん売れる「ブロックバスター」を狙う。
私の今の事業も大きな市場のあるものを中心に進めている。
しかし奇病になった患者も、本来他の人々と同様に愉しい人生を送る機会を与えられるべきである。
そうした人々が他の人々と同様に生きる機会を与えられるようになって、世の中はより公平になり、社会は進歩すると確信する。
またこのような事業には実際の労力が必要である。
お金も大切であるが、実際に献身する人が必要なのである。
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